小松賢吉 Profile

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<小松賢吉 Komatsu.Kenkichi>

1959(昭和34)年5月6日 東京都世田谷区生まれ
 幼少のときから難聴も普通小学校に入学し卒業後、恩師の勧めで玉川学園中学部に入学。小原國芳先生に憧れて玉川学園久志高等学校に編入。玉川学園高等部、玉川大学文学部教育学科卒業。難聴が進行、教職を断念し、1985年に横浜市役所に入庁。同年結婚し、一男一女。
 小学校3年生の時にボーイスカウトに入隊。自然大好き、アウトドア大好き、キャンプ大好き。海と山が大好き。子どもたちが幼いころは、トヨタハイエースロングをキャンピングカーに改造して8ナンバーを取得しファミリーキャンプを楽しむ。長男とは成人するまで10年かけて夏休みを使って自転車で北海道一周するという事業に挑戦。
 アウトドア大好きが影響して風景写真大好き、お花の写真大好き、桜と紅葉は特に大好き。デジタル一眼レフカメラの低廉化に伴い、撮影活動に少し身を入れるようになり、2004年にこのホームページを開設。現在は、自転車とカヤックを漕いで日本一周撮影の旅を楽しんでいる。  2020年4月よりフリーとなり、パソコントラブルの解消、団体や中小企業のホームページデザイン・制作、イベントポスターの製作などを請け負っている。
@enjoyfull企画 代表:小松賢吉)。

 

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Komatsu.Kenkichi

<居住歴>

1959年 東京都世田谷区下馬
1962年 静岡県賀茂郡河津町
1964年 東京都世田谷区下馬
1966年 神奈川県横浜市港北区新羽町
1978年 鹿児島県川辺郡(南さつま市)坊津町久志
1980年 神奈川県大和市中央林間
1985年 神奈川県横浜市港北区新羽町

<学歴・職歴>

1972年 横浜市立新田小学校卒業
1975年 玉川学園中学部卒業
1978年 玉川学園高等部卒業
1982年 玉川大学文学部教育学科卒業
1983年 株式会社システムウェアコーポレーション勤務
1985年 横浜市役所勤務
1986年 横浜市交通局出向
2020年 横浜市役所定年退職
<2020年3月31日 横浜市役所定年退職を機にフリーに>
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自転車とカヤックで二度目の日本一周撮影の旅に

1995年の阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件が地域活動を始めるきっかけ

横浜市スポーツ推進委員になったきかっけ】
 36歳までは地域活動には全く無縁でした。平成7(1995)年1月に「阪神淡路大震災」が、3月に「地下鉄サリン事件」が発生しました。この二つの出来事から、ご近所や地域の助け合いが〝命を繋いでいる〟ことや、親の目の届かないところで子どもたちの安全を守ることができるのは、地域住民の目であり繋がりだと考えたことが地域活動に関わるきっかけになりました。
タウンニュース 小松 賢吉さん | 港北区スポーツ推進委員連絡協議会の会長に ...(2017年6月29日記事)
 「日本の底力は地域コミュニティの力。スポーツ振興を通して地域にとって大切な『共助』の精神を醸成していければ」と語る。
みんなのスポーツ2021年9月号「障がい者スポーツを学ぶ3 私とスポーツ番外編」(新羽町)(2021年9月) ⇒【共生社会とは】(新羽町)
 健常者と障害者の共生社会とは、車いすで移動するのに時間を要したとしても、手が不自由で書類に署名することができなくても、顔面麻痺があって笑顔を作ることができなくても、耳が聞こえなくて筆談で伝えるために重要な会議が中断することがあっても、そのことに違和感を覚えることがなく、必要な手助けや支援についても、「特別に対応している」といった意識や感覚がない風土だと思います。
 障害者が主張すべきは保護や権利ではなく、「できない自分、できる自分」といった「ありのままの自分」「ありのままの生き様」を社会にさらけ出すこと。社会一般にその境遇を理解していただき、一般社会の一員として協調していくことで、共生社会が築かれていくのではないでしょうか。理想は「共生」そのものが意識されない社会です。 横浜日吉新聞 港北区からスポーツで地元を盛り上げる、4年ぶり「シンポジウム..(2023年2月19日)
 開会宣言をおこなった同協議会の小松賢吉会長は、受賞者に対して、「皆さんは、スポーツに取り組み結果を出すことで、感動や嬉しさや満足を贈るという、“受ける”だけでなく“与える”幸せ、与える栄光を手にして、人として大きく飛躍し成長されました」と激励。

【共生社会の実現に向けてスポーツ推進委員としてできること】
 競争を前提とするスポーツの世界でも、オリンピックとパラリンピックを別々に実施するのではなく、健常者、障害者が同じ大会、同じ土俵で供に競うことができれば互いの理解も深まり、自然な共生社会が育まれるのではないでしょうか。しかし、残念ながら、互いを知り理解する環境、場がまだまだ少ない状況です。私たち港北区スポーツ推進委員が主催する大会において、障害を持つ方にもっと自由に参加していただける機運を作っていくことを目標に活動してきました。互いを知ることこそが、共生社会の礎ですから。

【2023年3月 すべての公職を退任しました】
 健康上の事情により、2023年3月31日をもって、すべての公職を退任しました。なお、当面の間は地元横浜市港北区新羽町の広報、ホームページの運用を担当いたします。
障害者スポーツを学ぶ(PDF)
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<日本の文化と歴史を研究>

 日本が大好き。日本の文化と歴史を研究しています。歴史、政治経済、地理、地政学が大好きで、教職に就きたかったので、中学、高校社会科の教員免許状を取得しました。ただ、大学を卒業する頃には両耳の障害が進行して、面接試験が困難になってしまいました。子供たちの言葉も聴き取れなくなっていたことから教職の道は断念しましたが、研究は続けています。日本の文化、伝統、歴史を素直に見つめる
 これまでの常識がひっくり返るような事実に遭遇することがあります。
 気ままに自転車とカヤックを漕ぎながら、繊細でありながらインパクトのある日本の自然美「さくら」と「紅葉」、日本人の心の風景との出会いを求めて、カメラ片手に撮影の旅を楽しんでます。

<感音性難聴 聴覚障害2級

 幼少のときから難聴。成人してからは、聞こえの質が変化して、一般的に人がしゃべる帯域(通常帯域から高音域)が認識できなくなり、言葉を聴きわけることが困難になってしまいました。
 通院して補聴器を探していましたが適切なものがありません。(一時、周波数を低音域に変換する機能を持つものがありましたが、現在はないようです。)
 そもそも、認識できない音域をいくら補聴器で大きくしても認識できないので役に立たたないとのことです。
 会話は、その時の話題から先読みして口元を見ながら、手振り身振りを参考に筆談を交えてコミュニケーションをとっています。そのため、2019年に中国武漢で発生した新型コロナウィルスの世界的なパンデミックで多くの方がマスクを着用するようになってコミュニケーションがまったく取れなくなってしまいました。
 人の声は一般的にはかなり広い帯域があるようで、男性の太い声ならば、その帯域の最も低い部分を認識できる場合があります。この部分が認識できると、話題がわかっていれば、会話を予測することができるので、口元を見れば筆談はほとんど必要ありません。
 ただ、急に話題が変わったりして、話題の予想ができなくなるとコミュニケーションが成り立たたなくなってしまいます。
 いくつかの補聴器を装着してみましたが、相手の話していることがさらにわからなくなってしまいました。おそらくこの低い帯域が耳に入ることを妨害してしまうからかもしれません。
 低い音域のエンジン音やら走行音といったいわゆる騒音は耳に入ってきます。
 一方、電話のベルや呼び鈴は直に耳をつけても振動しかわかりません。
 緊急自動車のサイレンもその音で体が震えるほどの距離に接近しなければわかりません。
 2020年流行した新型コロナウィルスでマスクを着用するようになったことからしゃべっていることも認識できなくなってしまいました。仕事でのコミュニケーションが取れなくなってしまい、35年務めた職場を退職しました。
 2020年現在、聴覚障害2級

<息子とふたり、自転車で北海道一周 1998年から2006年まで親子の事業 >

 1998年、10歳(小学校5年生)だった長男と自転車で北海道一周しようと、ちょっとした挑戦を始めました。2006年までの9年間、夏休みに計8回北海道に出向いて、ほぼ一周走破しました。
 真実は、お父ちゃんの道楽に同行させられたと言ったところですが!

1998年 小5 函館~森

→急に思い立っての計画だったので、2泊3日という短期間
→上野から新幹線で盛岡へ、盛岡からはつかりに乗り換える際は、息子の自転車をお盆休みで帰省する皆さんが大勢で運んでくれました。
→函館から北上、慣れない距離感で夜半に大沼湖畔到着。東大沼キャンプ場で野営。
→翌日は暴風雨で一日足止め、混雑していたキャンプ場も気がつくとテントは我々の一張りだけに。
→大沼を一周して、国道5号線を北上。ものすごい交通量
→帰りは森から初めて寝台特急北斗星に乗車し、息子も私も北斗星の虜となってしまいました。

1999年 小6 倶知安~ニセコ越え~島牧~岩内~積丹半島~小樽~札幌

→7月に自転車で転倒して左手首を複雑骨折
→周囲は、北海道には行かないものと思っていたようですが、肘から下を固定して大丈夫と周りを説得しての強行
→寝台特急北斗星で小樽へ。函館本線長万部行に乗換えて倶知安へ
→ニセコ越えのはじまり。これはこれは大変な試練でした
→丸1日は、一度もペダルをこぐことなく、ただただ押して登るのみ
→野生の北きつねとはじめて遭遇
→ニセコ五色温泉にあるニセコ野営場でキャンプ
→大湯沼を見て、神仙沼へ。神仙沼の美しさに酔う
→そのまま一気に岩内まで下り、積丹半島へ
→神恵内盃野営場でテント設営
→翌日は雨の中北上、「オスコイかもえない」で雨宿り、土産を購入して宅配便で送付
→道営野塚野営場でテント設営、ゴミの多さにうんざり
→積丹岬に寄って、余市へ、1996年2月10日に起きた豊浜トンネル崩落事故(8時10分頃、古平町側の坑口付近において岩盤が崩落。トンネル内を走行中だった北海道中央バスの積丹町余別発小樽駅前行き路線バスと後続の乗用車の2台が直撃を受け、20名全員が死亡)現場で慰霊碑に黙とう。
→このあたりは果物街道。一個100円のスイカ(普通の大きさ)をひとつぺロリ。腹はパンパン
→小樽から札幌へ

2000年 中1 留萌~オロロン街道北上して~稚内~礼文島~宗谷岬

→宗谷岬を目指しての長距離に挑戦
→この年、北海道では記録的な暑さ
→とままえ夕陽丘キャンプ場泊
→北海道の海ではじめて海水浴。後の道行にも泳げるような状況は二度となかった
→アップダウンのオロロン街道は少しきつかった
→天塩町鏡沼海浜公園キャンプ場泊
→ここの温泉は黒くて石油臭
→礼文島に渡り美しさに感激
→礼文島の海ではお父ちゃんだけ海水浴
→北海道最北の地に立つ
→稚内に戻って夜行お座敷列車で札幌へ、北斗星で帰還

2001年 中2 女満別空港~網走~知床峠越え~根室~霧多布~釧路~帯広

→はじめて飛行機での輪行
→女満別空港を降りると羽田とのあまりにもの気温の差に怯む
→網走からウトロへ、国設知床野営場泊。
→知床峠は想像を絶する試練、自転車で越えるものではないことがわかった
→峠は濃霧、噴出した汗が急激に冷える。
→知床峠を下って凍りつきそうな体(真夏です)を救ったのは熊の湯(有名な露天風呂)
→羅臼自然と緑の村キャンプ場泊、夜間にキツネに食糧を奪われる
→道東を南下、まさに北海道的景色を満喫
→野付半島を往復、かつて砂嘴上に広がっていた森林は海岸の沈降により枯損が進み、枯死木によるトドワラやナラワラの景観を満喫
→尾岱沼ふれあいキャンプ場泊
→厚岸のムツゴロウ王国を訪ねるも、入ることができず
→厚岸・筑紫恋キャンプ場泊
→釧路で旅を終える

2002年 中3 稚内~網走

→札幌まで北斗星、稚内までお座敷列車、最高の列車旅
→最北の稚内から網走までのコースは北海道らしさ満喫で超お勧め
→ドーム防波堤下にテント設営してとりあえず一泊
→しかし、稚内では真夏なのに気温は10度
→さるふつ公園キャンプ場泊、猿払は、まさに原野、強風向かい風で進まず
→クッチャロ湖畔のサイクリングロードを快走
→ウスタイベ千畳岩キャンプ場泊
→日の出岬キャンプ場泊
→かつては国鉄が走っていた廃線跡をサイクリング
→呼人浦キャンプ場泊
→網走でかにの食い放題
→網走から札幌へ、北斗星で帰還

2003年 高1 滝川~富良野~旭川

→この年は襟裳岬を目指す計画が台風で橋が流されて通行止め、北斗星の中で「一度は富良野に行ってみるか」と、富良野行きに計画変更
→滝川から富良野を目指す
→上芦別公園泊
→マクドナルドで昼食!北海道にまで来て・・・!
→セブンスターの木だの、ケンメリの木だの・・・???あまり感慨なし
→旭川神楽岡少年キャンプ場泊
→ここは、北海道のメイン舞台ではあるけれども・・、なんだかあまり記憶に残らない
→野生派にはおすすめできないかなぁ~。

2004年 高2 野球部が多忙のため中止(甲子園に行ったのだが・・)

→予選一回戦で敗退したのに甲子園に行くんだって?
→神奈川県代表の横浜高校を応援するために各学校の野球部主将が甲子園に派遣されるとのこと
→旅館が横浜高校野球部と同じで、選手がとても同年齢と思えないオーラを感じたと

2005年 高3 札幌~増毛~オロロン街道北上~幌延

→すっかり立派に成長した息子をちょっと誇らしげに思う
→北斗星サロンカーでの息子とのひと時が最高に嬉しい
→はじめて、札幌から出発、稚内を目指して2度目のオロロン街道を北上
→石狩浜海水浴場にテント設営
→オロロン街道は、キャンプ地も温泉も不自由はないが、単調なアップダウンがきつい
→望洋台キャンプ場泊
→初山別村みさき台公園キャンプ場泊
→稚内まで到着できず、幌延にてツーリング終了
→札幌から北斗星で帰還

2006年 帯広~襟裳岬~静内~苫小牧~登別

→帯広へ、豚丼を食らう
→幸福駅へ
→ナウマン公園キャンプ場泊
→襟裳の春はなにもない春、夏もなにもなかった
→えりも百人浜オートキャンプ場泊
→食糧調達に片道10KMを戻る
→年中風が強い襟裳岬とのことだが、大変な好天に恵まれた
→親子岩ふれ愛ビーチキャンプ場泊
→日高のサラブレッドは本当にスマート
→森林公園緑のふるさと温泉の森キャンプ場泊
→最終日は登別の温泉宿に宿泊して、おそらく最後であろうこの事業を息子と惜しむ
→二十歳となり息子の就活を機にこの親子の事業を終結させる

 ほぼ!一周とは、長万部~登別間、松前半島西側の函館~島牧間が未走破でした。
 こうやって振り返ると、小学生だった子どもが成人するまであっという間。毎年実行して、わずかに8回しかできない、あたりまえだけどたったの8回しか・・・
 お父さん・・子どもの今は、本当に今しかないです。ずーっと子どもが子どもでいるわけではないので、子どもと何かをやろう、何かをやらせよう、どこかへ行こうと思ったら、ためらわずに、今、今日、とにかくすぐに実行してみてください。チャンスはその時一度だけかもしれません。
 はてさて、同時に単独で、週末と有給休暇を利用して輪行(りんこう:自転車を畳んで電車で移動し現地で組み立ててサイクリング)による日本の海岸線一周へのチャレンジ(と言った方が世間受けするだけで、いわゆる単なるお父さんの道楽です。浜ちゃんの釣りと同じです)も始めました。

【2018年 20年目日本一周で残す区間(時計回り)】

北海道→知内~松前~瀬棚~岩内、伊達市~長万部、根室~納沙布岬、利尻島(海岸線一周達成)
東北→岩手県宮古~宮城県女川町、福島県原ノ町~浪江町
甲信越→佐渡島、新潟県村上市~酒田市
北陸→富山県富山市~新潟県糸魚川市、福井県敦賀市~石川県金沢市
中部→三重県志摩市~熊野市
関西→鳥取県鳥取市~京都府宮津市、淡路島
中国→なし(海岸線一周達成)
四国→なし(海岸線一周達成)
九州→福岡県福岡市~北九州市、長崎県佐世保市~福岡市、鹿児島県南さつま市秋目~熊本市、大分県臼杵市~宮崎県延岡市、宮崎県日南市~鹿児島県佐多岬~垂水市(桜島の入り口)、鹿児島県西大山~枕崎市、五島列島、種子島、屋久島、徳之島、奄美大島、与論島
沖縄→名護市~辺戸岬~宜野湾市、宮古島、石垣島

【2019年 21年目日本一周で残す区間(時計回り)】

北海道→利尻島
東北→岩手県宮古~宮城県女川町、宮城県仙台市~いわき市
甲信越→佐渡島
北陸→富山県富山市~新潟県糸魚川市、福井県敦賀市~石川県金沢市
関西→鳥取県鳥取市~京都府宮津市、淡路島
九州→長崎県佐世保市~福岡市、鹿児島県南さつま市秋目~熊本市、大分県臼杵市~宮崎県延岡市、鹿児島県志布志~佐多岬~垂水市(桜島の入り口)、五島列島、種子島、屋久島、徳之島、奄美大島、与論島
沖縄→名護市~辺戸岬~宜野湾市、宮古島、石垣島

【2020年 22年目日本一周で残す区間】

北海道→利尻島
東北→福島県浪江町
甲信越→新潟県佐渡島
関西→兵庫県淡路島
九州→大分県臼杵市~宮崎県延岡市、鹿児島県志布志~佐多岬~垂水市(桜島の入り口) 九州離島→長崎県五島列島、鹿児島県種子島、屋久島、徳之島、奄美大島、与論島
沖縄→名護市~辺戸岬~宜野湾市、宮古島、石垣島

【カヤックを調達して、自転車とカヤックで再び日本一周の旅を仕切り直し

 日本列島の海岸線の長さは35558kmあるとのこと。世界の肝がん線の長さは356,000kmなので、この小さな島の集まりは、なんと世界の海岸線の10分の一を占めます。そんな日本の海岸線を自転車とカヤックで一周しながら沿岸の風景を撮ります。

 ときおり、訪れてくださる方から写真を使ってくださるという、ありがたいお知らせをいただくこともあります。
 お役に立つ写真があれば、どうぞご自由にお使いください。
 メールをいただけると大変嬉しいです。お待ちしております。 enjoyfull@nifty.com  どちらかの出版社様で、このページの「桜援歌」と「遊愁の美」を出版してくださいませんでしょうか。
<2011年3月11日 東日本大震災>
 2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震にて被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。松島や東松島には、これまで、3連休パスや大人の休日倶楽部会員パスを利用して、何度も自転車で訪れました。あの美しい奥松島周辺が津波で何もかも流された状況を見て、心が痛みます。一日も早い復興を心からお祈り申し上げます。
 2011年~2013年の3年間は宮城県田老に瓦礫の片付けボランティア、2019年までの8年間は毎年、福島、山形、宮城、岩手、青森を必ず訪ねました。

【事業紹介】

2021年 障害者による事業 @エンジョイフル企画設立
ご用命はメールにてお願いいたします:enjoyfull@nifty.com
※耳がまったく聞こえません

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<パソコンの不具合復旧等作業>
・動作が遅くなってきたのでリカバリしたい
・パソコンを買い替えて、環境やデータを移行したい
・windowsのアップデートで動かなくなった

<費用概算>
実作業1時間 2,000円+公共交通機関を利用した交通費実費
※パソコン不具合のための診断、データバックアップ及び再インストールの場合
概ね1日(1万円から1万6000千円程度)見込みます。
※お客様宅にお伺いして作業させていただくか、ノートパソコンの場合はお預かりして復旧作業いたします。
※デスクトップパソコンはお持ち込みいただければお預かりして作業いたします。
※交通費実費において、JR、私鉄を利用した場合の運賃は50%の障害者割引です。
<出張写真撮影>
・ご家族の記念日やご旅行の記念写真



・ホームページやパンフレット用写真撮影

⇒このホームページにある写真は無料でご利用いただけます。
⇒一例 @「travel.jpたびねす 」


・地域や団体のイベント記録写真撮影

⇒一例 神輿渡御




<ホームページデザイン制作>

・地域や団体のホームページ立ち上げたい

⇒一例 横浜市港北区新羽町




・趣味のホームページを立ち上げたい

⇒一例 Healing Message




<ポスター制作>
・地域イベント、大会などのポスターを作りたい

⇒一例 健民祭(運動会)ポスター



⇒一例 夏まつりポスター



⇒一例 神輿渡御ポスター




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